昭和32年、運転免許を手にしたばかりの上谷さんが初めて車を走らせたのは、鶉野(うずらの)の静かなまちに横たわる、長さ1200メートル、幅60メートルのコンクリートの「道」でした。数年後、そのすぐそばにある会社の営業所で働き始めた上谷さん。偶然の出会いから、その道は、第二次世界大戦中に姫路海軍航空隊がパイロット養成のための訓練場所として建設した、飛行場の滑走路だったと知りました。それから28年という年月をかけ、地元の人々にさえ知られていなかった飛行場跡の史実を掘り起こし、平和を語り継ぐための戦争遺跡としてよみがえらせていきました。「命をかけて日本を守った先人のことを知ってこそ、未来の平和につながる」と語る上谷さんの、活動への想いをうかがいました。

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